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能登の二重災害の直後に強行された衆議院選挙の日程に関する質問主意書

経過状況:

答弁受理

提出者 宮川伸
会派 立憲民主党
公式リンク 第216回国会 / 質問答弁

石破内閣は発足から八日後の十月九日に衆議院を解散し、同月二十七日に投開票が行われた。これは戦後最短の日程であった。選挙の準備期間が短く、内閣が発足される前に選挙の日程が発表されるほど異例の状態であった。

一方で、元日に大震災に見舞われた能登半島では、九月一日からの豪雨で二重災害を受けていた。多くの道路が寸断され、住宅が土砂に埋もれ、仮設住宅が被災したために再び避難を余儀なくされる人が出た。能登半島は十二月中旬ごろから雪が降り始めるので、その前に可能な限り復旧作業を終える必要があった。

災害関連死も、十一月二十二日時点に認定済みの方だけでも二百三十五人となり、東日本大震災以来、最多となった。

石破政権は、能登半島の復旧よりも衆議院選挙を優先させた。そのためにどのような弊害が起きたか、選挙の実施が適切な時期であったか検証する必要があると考える。以下、質問する。

質問1

十月九日に行われた石破茂総理と野田佳彦立憲民主党代表との党首討論で、野田代表が能登地域において選挙の日を遅らせる繰延べ投票を提案したところ、石破総理は「ここにおいて本当に投票が可能であるのかどうか。今の政治に対していろんな思いを最も持っておられるのは、ひょっとしたら被災地の方々かもしれません。そういう方々の思いが決してないがしろになることがないよう、この選挙の執行に関しましては、私は責任を持って万全を期してまいります」と答弁している。しかし実際には、輪島市や珠洲市で、他の地域よりも大きく投票率が下がった。

1 輪島市、珠洲市の前回の投票所の数と今回の投票所の数はいくつか。政府の把握しているところを明らかにされたい。

2 輪島市、珠洲市の通常の投票時間と今回最も短かった投票時間は何時から何時でその差は何時間か。政府の把握しているところを明らかにされたい。

3 輪島市と珠洲市の投票率は前回と比べて何ポイント低下したか。政府の把握しているところを明らかにされたい。

4 二重災害の直後に総選挙を実施したせいで、被災地における投票率が低下したと政府は認めるか。石破総理が約束した「万全を期した」選挙は行われたと考えているか。

回答(質問1 の1について)

 お尋ねの「前回の投票所の数」の意味するところが必ずしも明らかではないが、第四十九回衆議院議員総選挙における投票所の数は、輪島市が二十箇所、珠洲市が十九箇所であり、また、第五十回衆議院議員総選挙における投票所の数は、輪島市が十八箇所、珠洲市が十箇所である。

回答(質問1 の2について)

 お尋ねの「通常の投票時間と今回最も短かった投票時間」の意味するところが必ずしも明らかではないが、公職選挙法(昭和二十五年法律第百号)第四十条第一項において「投票所は、午前七時に開き、午後八時に閉じる。ただし、市町村の選挙管理委員会は、選挙人の投票の便宜のため必要があると認められる特別の事情のある場合又は選挙人の投票に支障を来さないと認められる特別の事情のある場合に限り、投票所を開く時刻を二時間以内の範囲内において繰り上げ若しくは繰り下げ、又は投票所を閉じる時刻を四時間以内の範囲内において繰り上げることができる。」と規定されているところ、第五十回衆議院議員総選挙における投票所のうち、「投票所を開く時刻」から「投票所を閉じる時刻」までの時間が最も短かった投票所の「投票所を開く時刻」及び「投票所を閉じる時刻」は、輪島市が午前九時及び午後五時、珠洲市が午前九時及び午後四時であり、当該投票所の「投票所を開く時刻」を繰り下げた時間と「投票所を閉じる時刻」を繰り上げた時間との合計は、輪島市が五時間、珠洲市が六時間である。

回答(質問1 の3について)

 お尋ねの「前回と比べて何ポイント低下したか」の意味するところが必ずしも明らかではないが、第四十九回衆議院議員総選挙における小選挙区選出議員の選挙における投票率と第五十回衆議院議員総選挙における小選挙区選出議員の選挙における投票率との差は、輪島市が十一・九五ポイント、珠洲市が九・五一ポイントである。

回答(質問1 の4について)

 投票率については、様々な要因が影響するものと考えている。

 令和六年能登半島地震の被災地における第五十回衆議院議員総選挙の執行については、総務省から選挙に関する事務に精通したアドバイザーを被災地に派遣するなど、被災地の状況把握及び選挙の執行に向けた助言等を実施したところであり、被災地の選挙管理委員会において、憲法及び公職選挙法の規定に基づいて適切に執行されたものと考えている。

質問2

私も総選挙後の十一月七日、八日に能登に伺い、ボランティア活動を行うと同時に被災者の皆さんの声を伺った。その中で、選挙の準備等で自治体職員が時間を取られ、被災者が公的な支援を受ける前提となる罹災証明の手続、復旧工事の発注など必要な災害対策が遅れた可能性が高いとのご指摘をいただいた。政府は、選挙の実施によって被災直後の貴重な自治体職員の労力が割かれたとの認識はあるか。

回答(質問2 について)

 お尋ねの意味するところが必ずしも明らかではないが、一般論として、選挙は、その選挙が執行される地方公共団体の職員を始めとして関係機関の職員等が連携して執行に当たるものと承知している。その上で、令和六年能登半島地震の被災地における第五十回衆議院議員総選挙の執行については、一の4についてで述べたとおりである。

質問3

九月の豪雨で道路が寸断され、出勤できなくなった等の理由で、従業員の維持が困難になった企業からもお話をお聞きした。雇用調整助成金による雇用維持が必要な場面であったと考える。

1 九月二十一日以降、雇用調整助成金制度の被災地への周知のために政府は具体的に何を行ったか。

2 九月の豪雨災害のみ(地震の影響を受けない)の被災企業に対する雇用調整助成金特例措置の適用はいつから可能なのか。補正予算の成立で初めて可能になるのではないか。政府の見解を明らかにされたい。

3 雇用調整助成金特例措置を直ぐに実施し、被災企業を支え、働き手の流出を止めるために、もっと早期の補正予算の提出が必要だったとの認識はあるか。総選挙を優先し、補正予算の提出、成立が遅くなったために特例措置の実施が遅れたとの自覚が政府にはあるか。

回答(質問3 の1及び3について)

 お尋ねについては、雇用調整助成金について、令和六年能登半島地震に係る特例措置(以下「旧特例」という。)を含め、厚生労働省のホームページにリーフレット等を掲載しているほか、石川労働局及び石川県内の公共職業安定所等における周知を行っているところである。また、旧特例については、令和六年十二月末で助成期間が終了となる事業所があるところ、同年九月二十日から同月二十三日までの間の豪雨による災害の被害状況等も踏まえ、七尾公共職業安定所及び輪島公共職業安定所の管轄区域における支援を切れ目なく行うため、同年十二月十七日に成立した令和六年度第一次補正予算に、令和七年一月一日以降を助成期間とする新たな特例措置(以下「新特例」という。)を盛り込み、新特例についても、同補正予算が成立した日に同省のホームページへの掲載等により周知を行っているところであり、「特例措置の実施が遅れた」との御指摘は当たらない。

回答(質問3 の2について)

 御指摘の「九月の豪雨災害のみ(地震の影響を受けない)の被災企業」の意味するところが必ずしも明らかではないが、令和六年九月二十日から同月二十三日までの間の豪雨による災害により被害を受けた事業所が、同月二十一日以降の休業等について雇用調整助成金を柔軟に利用できる運用を、「補正予算の成立」と関係なく行っているところである。

質問4

能登半島地震・豪雨災害の復旧・復興は遅れている。その理由の一つとして、数次にわたる場当たり的な予備費に頼り、補正予算で対応しなかったことが指摘されている。

1 東日本大震災において、発災から何日後に補正予算は提出され、成立したか。

2 平成二十八年熊本地震において、発災から何日後に補正予算は提出され、成立したか。

3 能登半島地震、発災から何日後に補正予算が提出され、成立したか。

4 他の大地震に比べ補正予算の提出が遅れた理由は何と考えるか。政府の見解を明らかにされたい。

回答(質問4 の1について)

 東日本大震災については、政府は、発災から四十八日後の平成二十三年四月二十八日に平成二十三年度第一次補正予算を第百七十七回国会に提出し、同補正予算は、同国会において、発災から五十二日後の同年五月二日に成立したところである。

回答(質問4 の2について)

 平成二十八年熊本地震については、政府は、発災から二十七日後の平成二十八年五月十三日に平成二十八年度第一次補正予算を第百九十回国会に提出し、同補正予算は、同国会において、発災から三十一日後の同月十七日に成立したところである。

回答(質問4 の3について)

 令和六年能登半島地震については、政府は、発災から三百四十三日後の令和六年十二月九日に令和六年度第一次補正予算を第二百十六回国会に提出し、同補正予算は、同国会において、発災から三百五十一日後の同月十七日に成立したところである。

回答(質問4 の4について)

 令和六年能登半島地震からの復旧及び復興については、被災地の状況を踏まえて、機動的かつ弾力的に財政措置を講じていく観点から、補正予算によるのではなく、まずは予備費を活用して万全を期することとしたものである。

質問5

石破茂総理は八月二十四日に総裁選への立候補を表明した記者会見で「全閣僚出席型の予算委員会というものを一通りやって、この政権は何を考えているのか、何を目指そうとしているのかということが、国民の皆さま方に示せたその段階で、可能な限り早く信を問うべきだ」との趣旨のことを述べた。実際には、豪雨災害により能登半島が甚大な二重被害を受けている時に、予算委員会も開催せず、戦後最短で選挙を実施した。被災地を見捨てたと指摘されかねない、この日程で選挙を実施しなければならなかった理由は何か。

回答(質問5 について)

 お尋ねについては、令和六年十月七日の衆議院本会議において、石破内閣総理大臣が「今回、新しい内閣が発足したことに伴い、国民の御意思を確かめる必要があるとの観点から、衆議院の解散を行うとの判断をいたしました」と答弁したとおりである。